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今日は久々に、1日みっちりとできた。集中していた。 石川直樹『いま生きているという冒険』(理論社)を読み終わる。 「チョモランマの頂上付近では、誰もが一人の生身の人間として自然と向き合わなければなりません。お金持ちもそうではない人も、王様もサラリーマンも、年上も年下も関係ありません。今この瞬間、この場所における自分自身のありかたが問われるので、みんな真剣だし、命がけです。日常生活ではつい忘れがちですけれど、こういった心持ちでぼくは世界と接したいと思います。」p167 「ぼくはシロクマと向かい合った瞬間のぴりぴりするような緊張感が忘れられません。いま見ている世界が、世界のすべてではないということを思い出させてくれるこのような瞬間を一つ一つ蓄積していったとき、人はどんなところにいても”世界”を感じることができるようになるでしょう。」p116 「いまぼくたちが生きている物質的な空間とは別の世界が確かにあって、それは「ここ」や「あそこ」にあるのではなく、あらゆる場所に存在しています。その世界への通路は、いわゆる「聖地」と呼ばれる場所にひらかれていたり、あるいは想起する力によって自分自身の中にに引っ張り込むことも可能になるでしょう」p278 「いままで出会ったいくつもの世界や、たくさんの人の顔、なによりも大切だった人の笑顔を思い描き、ともに過ごしたかけがえのない時間について心のなかでくり返し問いつづけながら、いま生きているという冒険にふたたび飛び込んでいくことしか、ぼくにはできないのです。」p279 まえから僕は演劇のことを、「自力でロケットを宇宙までとばすようなこと」というたとえで考えてきた。ここにひとつ加えるイメージがあるとすれば、「観客もろともチョモランマの頂上にいざなうこと」が演劇だということもできそうな感じがする。 いまここにあることを包むようにある、自分が生きている世界を実感したい、というそれだけのことだ。それを劇場で、劇場を聖地にすることでやろうってわけなのだ。 この本での著者の語り口と同様に、それはべつにかたくるしいことではなくて、この日常から、準備をして、たどりつくところにあることだと思う。難しく考える必要もないし、わざわざ下駄をはかせてまで称揚することでもない。地理的な冒険の「人類史上初」みたいなことは、僕らにはもうあってもなくても同じなんだと思う。 最後の引用の、「大切だった人」というのは、きっと、小山田咲子さんという人のことだろう。ネットで調べると、罵詈雑言を見つけることができます。僕には真偽はわかりませんが、この人の本も読もうと思う。 あと、ミクロネシアの伝統航海術にも興味をもったので、そっちの本も読んでみようと思う。
by nomuramss
| 2009-02-03 00:08
| 雑記
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